「過去と未来、東と西、真宗と私」

第十二回ヨーロッパ真宗会議

 インドを起源として中国、朝鮮半島を経て伝わった佛陀・釈尊のみ教えが、極東のこの小さな島国まで伝えられ、数々の歴史の変動の中、いま、私が居らせて頂いています。

 私どもは京都で佛像彫刻に携わっております。日本への佛教伝来当時には、もうすでに中国大陸や朝鮮半島では佛像彫刻は大変進歩し、盛んに造顕され、遺された作品を通してその、ほんの一端を窺い知ることが可能です。

 今回は佛師の視点から見た佛教の歴史に触れさせて頂き、ヨーロッパの皆様との交流を更に深め、そして未来への歩みの力へとさせて頂ける機会になればと願い、私ども親子でこの原稿を用意させて頂きました。しばらくの間、我慢して耳を傾けて下されば幸いに存じます。

 過日まで、佛像の西方への伝播はアフガニスタン東部までとされてきましたが、最近の調査によってイランの西部にて数々の佛像が出土したとのニュースを知り、佛教の西漸の跡にとても心を動かされました。

 東西の交流は遙か昔も盛んに行われ、東征してきたアレキサンダー大王が引き上げた後、この地を支配したギリシャのミリンダ王(メナンドロス王)とインド僧の長老、ナーガ・セーナとの問答を記した「那先比丘経」にも心の交流をみることが出来ます。ガンダーラの佛伝レリーフの彫刻等に仏法の守護神の執金剛神像が見られますが、その起源を辿って参りますとギリシャ神話の神・ヘラクレスへと繋がります。そして、毘沙門天はファッロー神と、大日如来の先駆である毘盧舎那仏は太陽神と重なります。ガンダーラの仏像が西欧的表現で顕わされるのは、この地に伝えられたヘレニズム文化と佛教との融和によるものでしょう。

 釈尊の入滅の後、佛弟子は釈尊の悟りの境地を求めて、ひたすら釈尊のみ跡を辿ってゆく、行が重んじられる時代が続きました。そこで、西暦紀元前後頃には、出家の僧のような行を行うことの及ばない、在家の人々を中心として、自身の内観、内省を深めてゆくことで佛の救いに遇い、発心してゆく大乗佛教が展開されました。そしてこの大乗佛教が、時間をかけて研鑽され、深められてゆくなかで、経典が編まれ、御佛像が誕生してゆきました。

 紀元前三世紀に、初めて全インドを統一したマウリヤ王朝の第三代のアショーカ王は、聖地に築かれた八カ所(正確には七カ所)の仏塔から仏舎利を取り出して、領土となった全インドに分舎利し、八万四千の佛塔を築いたといわれます。それまで佛教は釈尊がたえず遊行し、教化して歩まれたガンジス河の中流域だけで理解されていましたが、アショーカ王の行った分舎利によって、佛教は釈尊の足跡のない全インドにまで広がりました。仏舎利は釈尊が唯一この世に遺された、かたちあるもので、身舎利、肉舎利と考えられました。

 そして西暦二世紀のクシャーン朝第三代のカニシュカ王の時代には、佛教はさらに広範囲に広がり、隆盛の時を見、仏像の多数造顕が行われました。佛像の造顕は分舎利に等しいことと考えられました。釈尊お一人の身体からの御遺骨の量には物理的な限界がありました。

 釈尊の金口から発せられたご説法は韻律をもって正確に伝えられてきており、法舎利と考えられました。その経典が写経され、数を増すこととも分舎利、起塔に等しい行いでありました。

アショーカ王も、カニシュカ王もその前半生は戦場での殺戮の人生でした。多くの人々の死と、流された血に心を痛めたことによって仏教に出遇います。そして、その回心によって転輪聖王として甦ります。

 その後、波のうねりのような盛衰の歴史の中で、釈尊のみ教えがより理解されやすいようにとの意のもとに多くの宗派が生まれてゆきました。

 私が重ねて愚考いたしますのは、各宗派の祖師方の御悟りは、釈尊への回帰が指し示されており、その道程は師を通して釈尊のお悟りに出遇うという、回帰への歴史であるのだと思っております。そしてそれは、混迷した世相という裏付けの上にあります。平安時代は末法到来と厭離され、浄土往生が欣求されました。そして鎌倉時代は五濁悪世と怖れられました。浄土と穢土とには遙かなる距離がありました。

 浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は聖徳太子を倭国の教主と敬われ、師の法然上人を光顔巍巍と拝されました。大乗仏教は蓮華にそのこころが象徴されます。混沌とした世情の中、血に染められた聖徳太子の苦渋される心中から仏教に向かわれたところに、泥中より大輪の花を咲かせる蓮華の相が投影されます。

 蓮如上人の時代もまた、国民の約三分の一が餓死し、死体が積み上げられたといわれています。それはかつてのガンダーラの惨状と重なります。

 避けがたい苦難に直面したときに、我執を投げ捨て、救いを求める心がおこった時にこそ、自身の本来の姿を知らせていただく佛の光に遇うのでしょう。この相対するものがひとつになる実感こそ、大乗仏教の神髄であると思われます。

 私ども佛師の技と心は師弟関係によって伝承されて参りました。その系譜を遡って参りますと、佛像の原点は釈尊のみ教えを尊んだ紀元前の仏伝レリーフに見られる”無佛像”(佛像不表現)にこそ在ります。その心は大切に伝承されてゆきますが、やがて佛像が誕生してからは、三十二相、八十種好という瑞相の成立へと、かたちを具しながら、その心は受け継がれてまいりました。そして、ここに、蓮如上人の御聖句、「お木像よりもお絵像、お絵像よりもお名号」が、釈尊のみ教えとひとつに頂けてまいります。

 私達にとっての歩みは、自身の行を通じて今、刻々と佛法聴聞の本来の歓びに再会してゆくことにあります。お念佛という、今、ここに在す佛に遇わせて頂き、ここに佛意を聞いてゆく報恩の歩みを深めてゆきたいと発願致します。

 ヨーロッパ真宗会議が今回も執り行われますことを心よりお慶び申し上げます。拙文を以てではございますが、このような形で参加させていただけることをとても光栄に思います。皆様のほとばしる情熱に自信教人信の心を拝させていただき、感謝申し上げます。

 この遇い難き素晴らしいご縁に重ねて深くお礼申し上げます。

                                     南無阿弥陀佛  合掌

 中国、洛陽の石窟寺院を巡礼し、滋賀県・佐川美術館における「シルクロードの至宝展」を拝して

                               京都 平安佛所 江里 康慧

                                          江里 尚樹  拝

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