佛像彫刻の技法
〜時代による様々な様式〜
割矧造(わりはぎづくり)
作例:比叡山延暦寺 観音菩薩
平安時代初期から後期
 「一木造では背刳りによる内刳りで像表面と体内とは条件が近くなり、干割れは随分と収まったが、内刳りは出来るだけ大きく、全体に同じ厚みに刳ることが理想とされる。これが背中の一部分から鑿によって内刳りをするには道具の自由がきかず、均等な内刳りは難しかった。したがってまだ小さい干割れを無くすことは出来なかった。

 そこで考え出されたのが一木造によって彫刻された後、頭頂部または像底から木目に沿って鑿や楔を打ち込んで前後に割り裂き、その断面から像内を内刳りをしたのち、再び木目に沿って断面を接合するという方法が考え出された。

 鑿や楔によって、ほぼ出来上がった仏像を木目にそって割り裂くには、木目が真っ直ぐな針葉樹の桧がこれに適していた。しかし、この方法は大作には無理であり、比較的小像において広く行われた。一木造から寄木造へ移行してゆく中で両方に亘り見られるが、比較的早い例としては平等院雲中供養菩薩像にこの技法が見られる。

 この方法は容易に大きく、均等な内刳りが出来るために画期的な方法であり、像表面の干割れはほぼ完全に止めることが可能になった。しかし、像の接合面には割剥いだ跡が残るために素木で完成をすることは出来ず、漆箔か或いは彩色を施すことで接合部を包み隠す必要があった。平安時代の中期から、後期は法華経や浄土経典の流布よって天皇や貴族による造仏が盛んとなり、金箔や彩色が多用された美麗な造像が望まれるようになり、割矧造はこれに叶っていた。

 しかし仏師は僧侶でもあり、仏教徒がほぼ出来上がった像に大胆にも楔を打ち込み、割り裂くという技法は余りにも畏れ多いことであり、さらなる問題を残していた。割矧造はこの時点では途上段階にあり、やがて寄木造が考案されることへとつながってゆく。

 この割矧造は後世、玉眼の嵌入や、如来像の螺髪のカールした旋毛の仕上げ等をし易くするために、首の三道の下あたりで像表面と体内の両方より鑿を入れ、木目に沿って頭部を割り離す、割り首という技法として残されていった。」
江里康慧著「仏像に聞く」(KKベストセラーズ発行)より
 ほぼ完成した状態で、矢印の方向から楔〜くさび〜を打ち込み前後に割る。そして内刳りを施し、麦漆などの接着剤で楔での割れ目を合わせ直す。この場合、漆による合わせ目が黒く目立ち木肌を露わにする仕上げには向かないので漆箔仕上げ、または極彩色仕上げを施した。
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